ひとりごと


2019.6.28
本当は何を問題にすべきなのか

年金+2000万円問題?というのでしょうか、とにかく老後の資金は年金だけでは足りない、あと2000万円必要という話題がかなり世間をにぎわせています。その話題を無きものにしようとしたり、揚げ足をとったようにそれを誇張したり。どうしてこうなってしまうのか不思議です。
給料の金額も、年金の額も、必要なお金も、人によって全く違います。ただ少なくとも私の周りでは65歳以上でも男女とも働いている方が多く、ほとんどの方が年金だけでは生活できないとだいぶ前から言っていました。私の周りは特別なのでしょうか。そんな事は無いと思います。既にだいぶ前から、年金だけでは足りないと皆さん認めていました。今更何を驚く人がいるのでしょうか。

全員が2000万円必要ではありませんが、皆さん老後に備えて節約しながら、働けるうちは働こうと話しています。国の財政も考えれば年金ばかりに頼れないと思っています。それなのに、何でことさら問題にして、安心だ不安だと責め合うなんて本当に時間の無駄だと思います。

子どもに関わる出費はなくなったとして、高齢になってからも結構お金は掛かると思います。それは身体の自由が利かなくなるからです。個人単位では歳をとった時の方が掛かる気がします。若いうちは考えもしない事が出来なくなってくるわけですから。健康保険や生命保険などでカバーできる部分もありますが、それ以外の健康に関わる日々の出費は結構あるものです。正直にはっきりと年金以外にも備える必要性を伝える方が良いと思います。

それ以上に大きく問題にすべきは(年金よりも)所得格差の問題だと思います。ある政党が5年以内に最低時給を\1,300にすると選挙公約したようですが、私は年金よりもこちらの方が大きく取り上げられ騒がれ議論されるべきだと思います。時給\1,000でフルタイムで働いても月収は額面で14万円位で税金や保険料を引かれると10万円ちょっとになります。貯蓄以前にこちらの方が問題だと思います。

年金も健康保険も医療費も高齢化社会が進めば、今後様々な影響を受けると思います。病院で出される湿布薬や、もしかしたら風邪薬も健康保険の対象外になる議論もあります。先の事は分からないと言うのが正直です。絶対安心はあり得ません。
その事ははっきり言って、所得格差を減らして備えを訴える事が一番大事な事だと思うのですが。

2019.6.11
ソーイングは現代人に必要?

電車に乗って周りを見ると今やほとんどの人が見ているスマホ。今まではほとんどの人が寝ていたのに、都市の車内風景もすっかり変わりました。スマホの影響で以前よりも睡眠時間が減っているにも拘らず、スマホへの依存度がさらに増しているのが現状のようです。まだ寝ていた方が良かったのかもしれません。歩きスマホも無くなりません。
スマホのお陰で人間の脳は休む時間を失い、様々な悪影響が出ているそうです。便利さは時に様々な弊害と引き換えになります。それが健康と引き換えならば、よくよく注意したいものです。

そんな中、焚き火の効用が見直されているようです。ゆらゆらと燃える火を眺めている事は脳にとても良いそうです。おそらく脳が休めて癒しの効果があるのかと思います。焚き火に惹かれるのも必然だったのですね。

そして同じように単純作業に没頭する時間も人の脳に良いそうです。
ちょっと前から話題になっている「片付けの魔法」というのも、片付ける、整理する事という単純な行為が、脳をすっきりさせる効果があるのだと思います。現代は、本当に必要なものだけで暮らす、余計なものを捨てるという取捨選択を出来る力が必要です。定期的に、溜まってしまった物や情報を整理する事で、脳が活性化する効果があるのでは。

そしてソーイングにも脳に良い効果があるらしいです。集中できる単純作業がある事は、現代人の脳や健康にも大事なことかと思われます。少しこじつけですが。

2019.5.28
食べることは特別なこと

シャケ弁当の値段が\199、しょうが焼きとチキンカツやメンチカツの入ったお弁当が\299だという。\500でも衝撃的なのに。良い鳥モモ肉だと100gで\200くらいするのに。
切り詰めて切り詰めて大変な企業努力の結果なのは分かるし、助かる人がいるもの分かる。でもつい、いったい材料はいくらで仕入れているの?作る作業料はいくらなの?こんなに安くしたら売上や利益は確保できず、充分な給料は払えなくなるのでは?疑問は尽きない。
洋服はだいぶ前に作るより買った方が安い時代になったけど、食事も本格的に作るより買った方が安い時代になってきたと思う。

一方、私たち家族は訳あって先月から食生活を大きく変えた。特にこだわりが強かった訳ではないが、炭水化物や糖質を控え、栄養価の高いものを摂ることに。(このことのきっかけや詳しい話は後日お話したいと思う)結果、食費は以前よりかなりかかる事になった。

気が付くと世の中は、グルテンフリー、糖質カットの食べ物がかなり広がっていて、様々な選択が出来るようになっていた。アレルギーの問題もあるが、高齢化する現代人の栄養に関する認知が広がってきていたのだ。
新聞などの広告も、健康に関するものばかりになっていた。アミノ酸、ビタミンB、鉄分、亜鉛、酵素など。実は私たちは遅れていて、多くの人が既に健康に留意していたのだ。ただ高齢化時代を迎えただけでなく、意識の高い人がたくさんいたのだ。己の認識不足に愕然としている。

翻って安いお弁当の件だが、(洋服の事はともかく)食べ物がここまで安くなるという概念を植えつけてしまって良いのだろうか。生きる上で、食べものは最重要事項である。そんなことは分かっているはずだった。でも私たちは分かっていなかったのだ。

私たちの意識が低かったのかもしれないし、気が付かなかったのが悪かったのかもしれない。でももし、国が本気で高齢者も健康を維持して出来るだけ働いてほしいと思うのであれば、人々が食べるものに思い切って干渉して欲しいと願う。食に関する研究はすすみ、健康のために良い食べものというのは解明されてきているのだから。
もちろん人によってそれは違ってくるし、何を食べようが自由だ。でもある程度の方向性は示していける。例えばタバコのように、分かった上で使っていくように。
ただ安さ競争に向けている情熱は違う方向に向けられる事を切に願う。出来れば健康に考慮した上での競争に。

2019.4.12
努力だけで本当に報われるのか

娘の学校から配布された資料を読んで考え込んでしまった。努力すれば報われる社会なのか、という内容で先生のコメントが掲載されていた。日本の社会が集団主義から個人主義に転換し、自分の面倒は自分で見るという政策推進の結果、強者と弱者に二極化されてしまった。努力が報われたものと、報われなかったものとに。努力と成果が相関しないリスク社会である事を認め、報われると信じて努力はしていこう、という内容だった。勝ち組はそれでも努力を怠らない人々で、負け組は努力しても仕方がないと結論を出してしまって、より多くのリスクをかぶっている階層である、ともあった。

間違ってはいない。報われるか報われないかに関わらず、努力はすべきだと思う。でもどうなんだろう。子どもたちはこれを読んでどう思ったんだろう。娘には聞いていないが。

そもそも格差は早くから始まっている。正社員か派遣社員、アルバイト。正規職員か非常勤か。始めは少しでも長い人生においてはかなりの差がつく。能力の差はあるとしても、人はそれほどの差があるものなのでしょうか。

また、人は一人一人違う。みんな違ってみんな良い、と言いながら、全ての人に同じ様な均一な要求をしていませんか。昔ある社長が「クリエイティブで明るく協調性がある」デザイナーが欲しいと言っていて、「そんな人いるかい」と思った記憶がある。私の経験から、クリエイションのある人はその他の部分は難しい事が多く、明るく協調性のある人はクリエイションとは縁の無い人が多い。人それぞれなので、皆それぞれの場所で力を発揮すれば良い。それぞれを補いながら。でもこの社会は一人の人にも要求が多い気がする。

人間はそれぞれ能力が違うので、そろそろ差をつけること事態に無理がある事に気付かないのだろうか。正社員と派遣社員やアルバイト、非常勤などの分類がどれほどの意味があるのだろう。努力だけではその差は埋まらないと思うのだけど。
世の中に蔓延した不安の多くの部分がここにあると思うのは私だけだろうか。

2019.3.18
人間の罪と作品

俳優の新井浩文が傷害事件で、ピエール瀧が薬物で逮捕され出演作への影響や損害賠償などがニュースになっています。ちょうど最近、西川美和監督作品「ゆれる」を見、感動したと同時に複雑な気持ちになりました。ちなみに2人とも端役ですがこの作品に出ています。

もちろん傷害や薬物は大変な犯罪で許される事ではなく、きちんと罪は償う事はもちろんですが、人間の罪と作品の価値をどう考えるべきか、難しい問題です。作品と個人は分けて考えるべきと発言される方もいました。ずるいようですが私ははっきりとした結論は出せません。ただこの騒動自体がひとつの映画の様に思えて、深く考えさせられます。

「ゆれる」は本当に素晴らしく切ない作品で、「永い言い訳」の夫同士に対して、「兄弟」というもっと近い関係の赤裸々な感情がテーマになっています。人間の行動とこころの在りかの矛盾。感情が作り出す都合の良い真実。あやふやな記憶。兄か弟か、どっちの側に付こうか、見る側の心も揺れます。見ながら、自分もほとほといい加減だと思ってしまいました。

この映画の主人公の弟は卑怯な人です。でも写真家としては素晴らしい評価を得ています。犯罪は犯していません。罰を受け全ての評価を捨てられてしまう境界は法律上の犯罪かもしれません。でも今の時代、法に触れていなければ良いと言えないほどに世の中は複雑です。普通の人でも、悪い心と良い心の微妙な境界線でゆれているのではないでしょうか。ひとつ間違えたら、みたいな所で。だからみんな映画を見て悪人にさえ感情移入するのではないでしょうか。

その人しか出来ない芸術表現を出来る人は常人ではありません。罪は罪、犯罪は犯罪。人間として素晴らしい人は素晴らしい人。どうしようもないやつはどうしようもないやつ。それでも表現や作品はどうなんでしょう。それを見て心を揺さぶられた事は無駄だったのでしょうか。がっかりすべきでしょうか。糾弾すべきなのでしょうか。

(映画ではないですが)それが親だったり兄弟だったりする事さえあるのです。

2019.3.7
試着の99%は似合わない

メールではサイズ以外に様々なご質問を頂きます。コーディネートの事、生地選びの事、着ていくシーンの事などなど。おしゃれは確かに難しいので質問したくなる気持ちは分かるのですが、あくまで一般論としてのお答えになってしまいます。

最も重要なのは、あなた自身の顔、あなた自身の身体、あなた自身のセンスに合うのか?という事です。(ここでいう身体とは体型の事ではなく身体の雰囲気という事)

本当に似合う服は本当に少ないのです。映画や雑誌がひとつのヒントになったりすると思うのですが、とにかく試着、試着、試着あるのみです!ご自身の顔、身体で、家でも店でもとにかく試着すること。これ以外に方法はありません。
スポーツでも上手くなるには練習しますよね。練習以外に方法はないと思います。試着はおしゃれの練習だと思ってください。あの人に似合ってもあなたに似合うかは別。その確率はものすごく低いのです。すごくおしゃれな方にお聞きしたのは、「試着の99%は似合わない」。ものすごくおしゃれで、センスの良い方ですよ。
既製服というのは魅力的なデザインや素材で、あなたという存在を無視して惑わせ衝動買いさせる、迷路の入り口です。試着で合わないと思えばきっぱりとあきらめて下さい。(笑)

体型ということではなく、洋服は、自分の顔、身体、自分の雰囲気に突然合わなくなります。突然、新たに合うものも現れます。これにはその時の自分の気持ちという、目に見えないものも影響してきます。全て言葉では表現できないものなのです。あらゆる情報や意見はちょっとした参考になるかもしれません。でも、あなたの顔や身体や雰囲気はあなたしか知りません。

あなた自身が試着しまくって、出会って、気付くしかないのです。