ひとりごと


2019.4.12
努力だけで本当に報われるのか

娘の学校から配布された資料を読んで考え込んでしまった。努力すれば報われる社会なのか、という内容で先生のコメントが掲載されていた。日本の社会が集団主義から個人主義に転換し、自分の面倒は自分で見るという政策推進の結果、強者と弱者に二極化されてしまった。努力が報われたものと、報われなかったものとに。努力と成果が相関しないリスク社会である事を認め、報われると信じて努力はしていこう、という内容だった。勝ち組はそれでも努力を怠らない人々で、負け組は努力しても仕方がないと結論を出してしまって、より多くのリスクをかぶっている階層である、ともあった。

間違ってはいない。報われるか報われないかに関わらず、努力はすべきだと思う。でもどうなんだろう。子どもたちはこれを読んでどう思ったんだろう。娘には聞いていないが。

そもそも格差は早くから始まっている。正社員か派遣社員、アルバイト。正規職員か非常勤か。始めは少しでも長い人生においてはかなりの差がつく。能力の差はあるとしても、人はそれほどの差があるものなのでしょうか。

また、人は一人一人違う。みんな違ってみんな良い、と言いながら、全ての人に同じ様な均一な要求をしていませんか。昔ある社長が「クリエイティブで明るく協調性がある」デザイナーが欲しいと言っていて、「そんな人いるかい」と思った記憶がある。私の経験から、クリエイションのある人はその他の部分は難しい事が多く、明るく協調性のある人はクリエイションとは縁の無い人が多い。人それぞれなので、皆それぞれの場所で力を発揮すれば良い。それぞれを補いながら。でもこの社会は一人の人にも要求が多い気がする。

人間はそれぞれ能力が違うので、そろそろ差をつけること事態に無理がある事に気付かないのだろうか。正社員と派遣社員やアルバイト、非常勤などの分類がどれほどの意味があるのだろう。努力だけではその差は埋まらないと思うのだけど。
世の中に蔓延した不安の多くの部分がここにあると思うのは私だけだろうか。

2019.3.18
人間の罪と作品

俳優の新井浩文が傷害事件で、ピエール瀧が薬物で逮捕され出演作への影響や損害賠償などがニュースになっています。ちょうど最近、西川美和監督作品「ゆれる」を見、感動したと同時に複雑な気持ちになりました。ちなみに2人とも端役ですがこの作品に出ています。

もちろん傷害や薬物は大変な犯罪で許される事ではなく、きちんと罪は償う事はもちろんですが、人間の罪と作品の価値をどう考えるべきか、難しい問題です。作品と個人は分けて考えるべきと発言される方もいました。ずるいようですが私ははっきりとした結論は出せません。ただこの騒動自体がひとつの映画の様に思えて、深く考えさせられます。

「ゆれる」は本当に素晴らしく切ない作品で、「永い言い訳」の夫同士に対して、「兄弟」というもっと近い関係の赤裸々な感情がテーマになっています。人間の行動とこころの在りかの矛盾。感情が作り出す都合の良い真実。あやふやな記憶。兄か弟か、どっちの側に付こうか、見る側の心も揺れます。見ながら、自分もほとほといい加減だと思ってしまいました。

この映画の主人公の弟は卑怯な人です。でも写真家としては素晴らしい評価を得ています。犯罪は犯していません。罰を受け全ての評価を捨てられてしまう境界は法律上の犯罪かもしれません。でも今の時代、法に触れていなければ良いと言えないほどに世の中は複雑です。普通の人でも、悪い心と良い心の微妙な境界線でゆれているのではないでしょうか。ひとつ間違えたら、みたいな所で。だからみんな映画を見て悪人にさえ感情移入するのではないでしょうか。

その人しか出来ない芸術表現を出来る人は常人ではありません。罪は罪、犯罪は犯罪。人間として素晴らしい人は素晴らしい人。どうしようもないやつはどうしようもないやつ。それでも表現や作品はどうなんでしょう。それを見て心を揺さぶられた事は無駄だったのでしょうか。がっかりすべきでしょうか。糾弾すべきなのでしょうか。

(映画ではないですが)それが親だったり兄弟だったりする事さえあるのです。

2019.3.7
試着の99%は似合わない

メールではサイズ以外に様々なご質問を頂きます。コーディネートの事、生地選びの事、着ていくシーンの事などなど。おしゃれは確かに難しいので質問したくなる気持ちは分かるのですが、あくまで一般論としてのお答えになってしまいます。

最も重要なのは、あなた自身の顔、あなた自身の身体、あなた自身のセンスに合うのか?という事です。(ここでいう身体とは体型の事ではなく身体の雰囲気という事)

本当に似合う服は本当に少ないのです。映画や雑誌がひとつのヒントになったりすると思うのですが、とにかく試着、試着、試着あるのみです!ご自身の顔、身体で、家でも店でもとにかく試着すること。これ以外に方法はありません。
スポーツでも上手くなるには練習しますよね。練習以外に方法はないと思います。試着はおしゃれの練習だと思ってください。あの人に似合ってもあなたに似合うかは別。その確率はものすごく低いのです。すごくおしゃれな方にお聞きしたのは、「試着の99%は似合わない」。ものすごくおしゃれで、センスの良い方ですよ。
既製服というのは魅力的なデザインや素材で、あなたという存在を無視して惑わせ衝動買いさせる、迷路の入り口です。試着で合わないと思えばきっぱりとあきらめて下さい。(笑)

体型ということではなく、洋服は、自分の顔、身体、自分の雰囲気に突然合わなくなります。突然、新たに合うものも現れます。これにはその時の自分の気持ちという、目に見えないものも影響してきます。全て言葉では表現できないものなのです。あらゆる情報や意見はちょっとした参考になるかもしれません。でも、あなたの顔や身体や雰囲気はあなたしか知りません。

あなた自身が試着しまくって、出会って、気付くしかないのです。

2019.1.23
アパレルの今後

1月のセールもほぼ落ち着いたという所でしょうか。アパレル業界関係者は、さてここまで残ってしまった在庫をどうしようか、と頭を抱えている時期かと思います。
皆さんはアパレルメーカーのコストはどれくらいだと思いますか?セールでは50%OFFはたまた70%OFFなどと謳って安さを煽っています。そんなに安いならとついつい衝動買いしたりしてしまいそうですね。
私たちがアパレルの仕事をしていたのはもう20年以上も前ですから、今とは状況がだいぶ違っていると思います。ファストファッションは従来型のアパレルとはものさしがだいぶ違うのだと思います。あくまで私たちが仕事をしていた、ある程度のクオリティーを維持していたアパレル関連の話をするとコスト(原価率)は25-30%くらいです。70%OFFでも利益は出ます。逆に言うと、定価(業界ではプロパーと言います)はそれくらい高い金額に設定されています。

アパレル業界の企画会議では「企画掛け率」という言葉が頻繁に登場します。コスト(原価)にどれ位掛けて(乗っけて)上代(販売価格)を設定するかという数字です。通常は(あくまで20年以上前の話)3.7~3.4、だいたい3.5位が基準となっていました。コストの3.5倍ということです。コストが¥10,000だったとすると¥35,000で販売する、という事です。原価率という観点から見ると28.6%です。70%OFFでも数字上は利益は出ますよね。ただし、コストはおもに生地付属代、縫製工賃などですが、アパレルのデザイナー、パターンナー、生産担当者などの給料や会社の経費は含まれていません。

20年以上前はファストファッションが主流ではありませんでしたので今より洋服の価格は高かったですし、海外生産も今よりも激しくなかったので国内生産もある程度ありました。今は洋服の価格は下がってきましたが、海外生産はもうあたりまえですのでコストもかなり下がっていると思います。洋服(だけでなく物全体)の価値は下がってきていて売れなくなってきているのに、海外生産でコストを下げる方法に頼って、社会の構造自体は一般の消費者の意識ほど変わっていないように思えます。海外生産を支えている人や国は世界の中の最貧国の人たちですので、世界を巻き込んだ大掛かりな搾取を続けているように思えてなりません。セールの風景を見ていつも思うことです。

既製服は見込みで先に作るという産業構造である以上、リスクとして金銭的な担保が欲しいのは分かりますが、消費者が便利さを手放さないのか、企業がそのスタイルを変えたくないのか私には分かりません。そしてその結果、15億着でしたっけ?とにかく膨大な量の洋服が廃棄されていく。いつまでこのサイクルが続いていくのでしょうか。

この20年間で変わったのか、変わってないのか。私には分かりません。

2018.11.21
続けてきて、見えてきたもの

「ひとりごと」のページを追加しました。日々過ごす中で感じたこと、思ったことをつづりたいと思います。どうしてもお伝えしたい情報ではなく、どちらかと言うと、どうでも良いことをつぶやきます。良かったらお付き合い下さい。

先日ある作家さんと話している時、自分たちはどうなのかと思った事があります。それは自分たちの中で特に何を伝えたいのか?という事です。立ち位置とでもいうのか。
私たちがMパターン研究所を始めた約20年前は、いわゆる「洋裁」的な世界は今よりもっと狭い世界だったと思います。手作りというと「作ったのね」と確かに分かるような少し貧乏くさいイメージに思えました。立体裁断や縫い代付きというものもなく、アパレル経験者からすると洋服ではなく「洋裁」という独自の世界を形成していた気がします。
ファッションの業界から来た人間としては、もう少しおしゃれな、心ときめく「洋服」の世界観というか、手作りと洋服(ファッション)がつながるようにしたい想いでMパターン研究所を始めました。そして20年経った今はずいぶん変って、おしゃれなものがかなり増えてきたと思います。手作り服のイメージもだいぶ変わりました。そんな中でも自分たちは何を伝えたいのか、やりたかったことは無くなったのか、と考えた時に、もともと自分たちが好きな部分、得意な部分が見えてきた気がします。

アパレル時代に周りを見渡した時、モードやデザイン性にこだわりを持ったクリエータータイプの人たちが確かにいました。彼らの中には本当に才能のある人もいて、羨ましいと思ったりもしましたが自分の目指すものとはちょっと違うなとも思っていました。モードやデザインを特に強調する服というよりも、人の身体性というか、バランスというか、着た時にどう見えるかとか、そうしたある意味「工業デザイン」のようなものに惹かれていた気がします。
作家の「アートよりも製図に惹かれた」という言葉がとてもストンときました。そうです、自分たちも服の構造に惹かれました。一目で皆を驚かす分かりやすいデザインよりも、形作られた「技術」に惹かれました。わかりにくく地味ですけど。

改めて、あらゆる分野でたくさんのものを選べる時代になりました。パターンもネットも含めてたくさん販売されていると思います。おしゃれなものも多くなりました。そんな中で自分たちは、アパレル時代から感じていた、人の身体性、バランス、構造を支える技術力に力点を置いて、肉体がまとった時の「服の機能性」とか「美的な工業デザイン」とでも言うのか、そういったものに全力を注いでいこうと思いました。