ミシン百景


2019.4.22
〜9話〜

私が服を作る事に夢中になったのは学生時代。あのころ夢中になった、映画「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグの影響です。

あの頃はおしゃれな洋服なんて売ってなくて、作るしかなかったんです。ましてやヌーベルバーグのフレンチファッションなんて、まだ日本では知る人ぞ知るって感じでした。

私はとにかくジーン・セバーグに憧れて、ジーンになりたかった!
あの刹那的な青春の美しい悲劇のような映画の内容も、自由を求めて社会に挑むヒーローとヒロインも、私を夢中にさせた要素ですが、それら全てを象徴するのがジーンのファッションでした。まるで少年のようでありながら、新しい女性の生き方を体現しているかのように思えました。

ボートネックのボーダーシャツとジーンズ。ハイウエストやノースリーブのワンピース。白いサブリナパンツ。小さなラウンドネックのギンガムチェックのシャツ。メンズシャツの着こなし。スカーフの使い方。サングラス。
とにかくジーンになりたい一心で作って着ていました。上手とかそんなものではなく、それ以外着たくなかった。青春の思い出です。

その後のフレンチファッションの広がりを考えると、ファッションアイコンとしてのジーン・セバーグの登場は、大変な衝撃だと思います。ただ、彼女自身のその後の人生の不幸を考えるととても切ない思い出です。

2019.3.20
〜8話〜

どうしても捨てられない服ってあるんですね。もう絶対着ることは無いのに。

私ももういい年なんで身辺整理というか身の回りの物の処分を始めたんです。子ども達に迷惑をかけたくないので。洋服は特に必要のないものは全て処分しました。でも、1着のドレスだけは捨てられないんです。

実は私、どうしても歌手になりたくて夜スナックで歌っていた時期があるんです。子どもの頃はみんなに歌うまいねって褒められてたんです。それで昼は仕事をしながら、夜スナックで歌ってました。その頃はお金もなくて自分でドレスを手作りして。どうなるあてもなかったんですが、歌っていれば何とかなるかなって思って。

ドレスは歌う時しか着なかったです。冠婚葬祭や子どもの行事に着て行けるものではなかったので(笑)。でもあの時の気持ちというか、情熱というか、思い出すんですよね。全部よみがえります。
今見るとひどいつくりで恥ずかしいです。でも私にとってだいじな1着なんです。

2018.10.12
〜7話〜

私は洋服のお直しの仕事をしています。最初はデザイナーを目指していたのですが、いろいろあって今の仕事に落ち着きました。最初の頃は「とにかく早く直して」と言われると、無理な事を言うなぁと思っていました。


ある時男性のお客様が、「これが妻の形見なんです」とワンピースを持ち込まれました。実はご自宅が火事になり、奥様が亡くなられ、全てを失われてしまったとの事でした。ほとんどのものが焼けてしまった中で、奇跡的に1枚だけ何とか残った洋服だったそうです。
きれいに修復してお渡しすると、涙を流してその服の想い出を語られたんです。その時に、この仕事は素晴らしいと思いました。「しごと以上のしごと」というものがある事もわかりました。

なんでも使い捨ての時代に、わざわざ直すという事の意味に気付きました。

2018.6.15
〜6話〜

(男性の方です)
服の思い出というと衝撃的なものがあります。
小学校の遠足の時に、母の手作りで花柄の、「姉の服」を着せられたことです。
遠足なんだから特別な服を着ていけ、という今思えば何だか訳の分からない説得により、良く考えないで着て行ってしまいました。


当然、遠足では友だちから、からかわれっぱなし。
先生からも笑われ、顔から火が出るくらい恥ずかしかったです。
後にも先にも、これほど恥ずかしい思いをした記憶がありません。
弁当にも手を付けられず、どこへ行ったのかさえ覚えていません。


帰ってからは、しばらく母と口をききませんでした。

2018.5.30
〜5話〜

私の家は父も母も働いていたので、家にはお手伝いさんが通っていました。特に裕福な家庭ではありませんでしたが、当時は通いのお手伝いさんがいる家は結構ありました。近くの友だちが家に来たり、友達のお手伝いさんの所に行ったりしていました。
お手伝いさんたちもそれぞれで、話がすごく面白かったり、お菓子作りがすごかったり。私の家のお手伝いさんは洋裁がとても上手な人でした。ミシンを上手に操って、さっと簡単にブラウスとかスカートとか作ってくれました。「こんなのがいいなぁ」と言うと、早速生地を探してきてくれて作ってくれました。子どもの私には魔法のようでした。やっぱり女の子には特に人気で、みんな羨ましがっていて、私も鼻が高かったです。私はいつも傍らでじーっと見ているだけ。ぼんやりと自分も早く出来るようになりたいなぁと思っていました。

でもある日突然お手伝いさんが来なくなってしまいました。何でお手伝いさんが来なくなったかは分からなかったけど、父母に聞いてはいけない気がしていました。今でもミシンの音を聞くとあの時のお手伝いさんの後姿を思い出します。

2018.4.04
〜4話〜

私の両親は学校の先生で、しつけがとても厳しい家庭でした。母からは、いつもきちんとした身なりを心がけるよう言われ、服は全て母の手作りでした。
私は花柄の可愛い、明るい色の服が欲しいと言いましたが、母の作る服は無地で地味な色ばかり。デザインもシンプルな大人っぽいものが多かった。

当時は不満だったのですが、今思うととてもセンスのある人だったなぁと思います。
ちなみに、そのセンスの良さは私には引き継がれていません(笑)