私たちはどう生きるか
~昭和史から学ぶ非戦と平和~
2024.9.20
「第15話 クーデターと呼ぶにはあまりにお粗末な2.26事件①」

昭和史に戻ります。
陸軍は明治維新以来の長州派閥、薩摩派閥、土佐派閥、肥前派閥という薩長土肥グループが主流派でしたが、それに対して「薩長土肥など古い」と改革を求めるグループが力を持ってきていました。そのグループが、やがて意見の対立から分裂したのが「統制派」「皇道派」と呼ばれる人たちでした。
2.26事件の背景にこの人たちの内紛があります。「皇道派」が実権を握っていたのを「統制派」が奪い返し、相沢と言う人が「統制派」のトップ永田鉄山少将を暗殺してしまう「相沢事件」が起こります。相沢は死刑となりすぐに執行され、これに不満を持った「皇道派」がクーデターを計画したものです。
2.26事件概要
①首相官邸襲撃/参加者約300名/岡田啓介首相 間違えられて助かる
②侍従長官邸襲撃/約150名/鈴木貫太郎 重症
③内大臣私邸襲撃/約150名/斎藤実 暗殺
④前内大臣湯河原別邸襲撃/8名/牧野伸顕 脱出
⑤教育監督私邸襲撃/斎藤実暗殺後に主要部隊のみ/渡辺錠太郎 暗殺
⑥蔵相私邸襲撃/約100名/高橋是清 暗殺
⑦陸軍大臣官邸占拠/約150名
⑧警視庁占拠/約400名
総計1483名
2.26事件は大変有名な事件で情報量も多く様々な考察がされており、その計画にはいろいろな説があります。興味のある方は色々調べてみて下さい。
ただ、この事件で覚えておいて欲しいのは、陸軍による計画的なクーデターでありながら、統率が取れずにあまりにも見通しが甘くずさんな点です。
実行されたのは1936年2月26日午前5時ですが、天皇には早くも30分後に鈴木貫太郎夫人から電話が入ります。最初の誤算。
午前6時に「君側の奸」グループの中でも狙われなかった「皇道派」の本庄繁侍従武官長が宮中に駆けつけますが、既に天皇はいつもの背広姿でなく、大元帥の軍服で出てきたのです。
陸軍の反乱であるので大元帥として対処すべき、これは軍の統帥の問題であるとの決意からでしたが、本庄は驚きます。そして本庄に厳しい態度で「早く事件を抑えろ」と命じます。残った宮内大臣湯浅倉平、侍従次官、内大臣秘書官も加わり「うやむやにせず、天皇の命令のもと、事件をはっきりせよ」となります。
甘く見ていた陸軍のクーデターが早くも「失敗に終わった」瞬間でした。
彼らの計画は「最後は天皇陛下もわが手中に抑えてしまおう」、そして「自分たちは官軍となり他の者たちは賊軍になる」という筋書きでした。その為には天皇のいる宮城(きゅうじょう)を抑えてしまうという本当のクーデターでした。計画者たちは「天皇陛下は我々と本庄侍従武官長が話せば必ずお前たちの味方になってくれるはず」と実行する青年将校たちを説得していました。
それにしても恐れ多くも、彼らが崇め奉っている「天皇陛下」を拘束しようというのです。陸軍と天皇の関係が分かります。しかも天皇の側近を皆殺しにしておいて、拘束して説得すれば理解してもらえる。これ、ほぼ脅迫です。
このクーデターのキーマンは中橋基明という人です。この人の隊は近衛歩兵隊といって天皇を護衛する特別な部隊ですから、非常時でもこの人たちだけは宮中に入れます。他の隊は入れません。この計画の最大の目的は「天皇陛下を拘束すること」でしたから。
本来はまずすぐに宮中に入ってしまう計画だったのですが、その時になって高橋是清邸が近いので急に暗殺してしまおうと思い付き、勝手に変更してしまいます。高橋邸を襲撃している間に何か連絡があったのか、あるいは最初から中橋を疑っていたのか分かりませんが、襲撃後、宮中に入れてもらえず計画が破綻します。
そして入り口で護衛をしている軍人と入れろ入れないでもみ合いになり、拳銃を抜き一触即発になりますが、結局中橋は拳銃をしまってしまいます。計画にない余計な事をしているうちに、一番の目的を達成できなくなります。
警視庁に入った400名の最大部隊は1人も殺さずあっさりと占拠出来ました。計画では、すぐに宮中に入った中橋からの合図を待って、合図があれば一気に400名で突入し、いくつかある宮中の門を全て閉鎖する予定でした。
しかし、中橋からは待てど暮らせど合図が来ない。朝5時から始まったのに昼になっても来ないので、皆で昼飯を食ったっていうんです!ええのんびり過ぎる!
あまりにも来ないので耐え切れず数名が見に行くと、何も起こっておらずいつも通りの守備隊が警備していた。「これは失敗したんじゃないか」と思い、戻って報告しました。
後から分かった話では、中橋は宮中に入れず拳銃を抜いたが止めて帰ってしまい、そこに残された100名の反乱軍は、もともと宮城を守っていた隊と一緒になってしまい、部隊長から「門を守れ」と言われて皆で守る羽目になったそうです(笑)隊員たちは「自分たちが何をやっているのか分からないうちに時間が過ぎた」と語っています。
警視庁にいる400名も結局そこでぼーっと1日過ごし、どうしたらいいのか分からず状態だったようです。
落語家の五代目柳家小さん師匠は、2.26事件で警視庁占拠に出動していたそうです。事前にまったくクーデター計画を知らされず、当日支給された弾薬が実弾で驚いたと語っています。「警備のための出動」と聞かされていたのが、自分たちが反乱軍になっていると後になって知ったそうです。あまりにも暇なので、意気阻喪気味の兵士に一席やらされたそうです。(本人回顧談[要文献特定詳細情報]より)